駿府大御所時代絵巻

静岡まつりは、大御所となった徳川家康公が大名や旗本を引き連れて花見をしたという故事に倣い昭和32年に始まりました。

記録によれば、慶長12年(1607年)駿府に居城を移した徳川家康公は、慶長の中頃に、大名・旗本等を引き連れて浅間神社へ花見に行ったことが『東照大権現假名縁起』に記されています。これによれば、「お供のもの綾羅(りょうら)艶色(えんしょく)袖をつらね、競いたる有様は珍しき壮観であった・・・」と当時の華やかな花見の様子を今に伝えています。また、『駿府政事録』にも満開の花の下で花見をし、能楽を奉納したことが記録されています。

綾羅艶色満開の桜の下で

これが静岡まつりで行われている大御所花見行列の由来です。綾羅(りょうら)艶色(えんしょく)袖をつらねと伝えられる光景は、まさに大御所時代の隆盛を彷彿とさせる時代絵巻のようであったに違いありません。

吉野の花見

戦国時代の花見として思い起こされるのは、豊臣秀吉が吉野で行った花見(1594年)です。吉野の花見として、歴史的にも有名です。豊臣秀吉が天下統一を成し遂げてから数年後のまさに豊臣絶頂の時のこと。この花見に同行したのは徳川家康、宇喜多秀家、前田利家、伊達政宗らの武将をはじめ、茶人や連歌師総勢5000人とされています。滞在中は「歌の会」「茶の会」「能の会」などが開かれ、まさに宴尽くしの日々だったようです。

徳川の世を天下に知らしめる花見

この時の徳川家康の心中は定かではありませんが、駿府の地で花見を行ったことは、吉野の花見になぞらえて、豊臣から徳川の世に変わったことを天下に知らしめるものでもあったのではないかと推察できるのです。