シン・玉川座(【B4】エリア)
静岡における劇場文化・映画文化の始まり

第68回静岡まつり

『玉川座』は明治3年8月に、当時静岡に逗留していた、江戸町火消し「を組」の頭(かしら)であった新門辰五郎が建てたものです。新門辰五郎は、江戸町火消し6組をまとめる「十番組」の頭領として手下約二千人を従え、また大江戸一の侠客として、幕末の江戸庶民の憧れの的の人物でした。

江戸城が無血開城の後、最後の将軍であった徳川慶喜公は、新門辰五郎一門の警護のもと静かに謹慎されてました。明治2年9月28日に慶喜公の謹慎が解けた時、辰五郎は慶祝の気分を一層高め、明治維新で混乱する駿府の町に活気を生み、商売を賑やかにするために江戸に居た頃に面倒を見た江戸歌舞伎三座の千両役者達を呼んで盛大に興業することを考え付いたのです。

丁度この頃、ササラ村(現川延町・馬渕の一部)にあった人形浄瑠璃の「玉川広太夫座」が経営不振となり、辰五郎は興業の権利を買い取り、寺町三丁目(現駒形通り1丁目)に「玉川座」を建て、当代一流の役者達が次々に来静し、連日大入り満員の盛況となり、町も大いに賑わったとされています。その後、「玉川座」は「小川座」と改称し、さらに、「若竹座」と改称され七間町の映画文化の基礎となっていきます。

静岡まつりでは、青葉会場にこの玉川座に因んだ『シン・玉川座』を、まつり期間中に開設し、当時の賑わいの一端を再現しています。

シン・玉川座の全体構成は以下ようなテーマを元に三部構成となっています。
オープニング~午前中(10:00~13:00)
「賑わいの始まり」

午後(13:00~17:00)
「まつりの賑わい」

夕方~夜(17:00~20:00)
「駿府の夜を艶やかに」