シン・玉川座
(【5】エリア)
静岡における劇場文化・映画文化の始まり

 

シン・玉川座
開催日時
会場:青葉会場【5】エリア
4月4日(土)10:00~20:00
4月5日(日)10:00~20:00


玉川座は、明治3年8月、当時静岡に逗留していた江戸町火消し「を組」の頭、新門辰五郎によって創建された芝居小屋です。新門辰五郎は、幕末には江戸町火消しを率いる存在として知られ、徳川慶喜との縁から、慶喜謹慎期の駿府にも深く関わった人物でした。慶喜の謹慎が解かれたのち、維新の変動のただ中にあった駿府の町に活気を取り戻し、商いと人の往来を盛り立てようと考えたことが、玉川座開設の大きな契機になったと伝えられています。

もとは、ササラ村(現在の川辺町・馬渕の一部)にあった人形浄瑠璃の「玉川広太夫座」が経営不振となっており、辰五郎はその興業権を買い取りました。さらに、清水の廻船問屋らの後援を得て、寺町三丁目(現在の駒形通り一丁目)に本格的な芝居小屋として玉川座を建てたとされています。明治3年8月のこけら落としには当代一流の役者たちが次々に来静し、連日大入り満員の盛況となり、周辺には茶屋や料理屋も立ち並び、町は大いに賑わったと伝えられています。

玉川座が築いた賑わいは、一時の興行にとどまりませんでした。七間町から寺町三丁目にかけての一帯は、明治初期以来、静岡を代表する繁華街として発展し、その賑わいの核の一つに芝居小屋の存在がありました。玉川座はその後、経営の移り変わりとともに「小川座」、さらに「若竹座」へと名を改め、東京や大阪の役者・芸人が立ち寄る地としても知られるようになります。明治22年には若竹座へ改称され、のちに再建も重ねながら、静岡の娯楽文化を支える存在となっていきました。

とりわけ若竹座の時代には、静岡における新たな大衆文化の扉も開かれました。明治30年6月、若竹座では静岡で初めて活動写真が上映されたとされ、この出来事は後の七間町の映画文化へとつながっていきます。七間町がのちに“映画の街”として親しまれるようになる、その源流の一つが、この玉川座の系譜にあるのです。

また、玉川座の創建を伝える資料として、国立劇場には《静岡玉川座棟上の図》が所蔵されています。こうした史料の存在は、玉川座が単なる一興行場ではなく、明治初期の静岡に芽吹いた芸能文化の象徴であったことを今に伝えています。

静岡まつりでは、この歴史ある玉川座にちなみ、青葉会場に「シン・玉川座」を開設しています。芝居町として栄えた往時の空気、芸能が人を呼び、町を明るく照らしたあの時代の熱気に思いを寄せながら、静岡の劇場文化・映画文化の原点の一端を現代に映し出す場となっています。

第70回静岡まつりの「シン・玉川座」の演目は下記のような三部構成となっています。

オープニング~午前中(10:00~13:00)
「賑わいの始まり」

午後(13:00~17:00)
「まつりの賑わい」

夕方~夜(17:00~20:00)
「駿府の夜を艶やかに」