徳川家康公が大御所として駿府に戻ると、駿府城の整備とともに、城下町の大規模なまちづくりが進められました。
今川氏の時代から栄えていた町場を生かしながら、商人や職人の町、武家地、寺町などが整えられ、駿府は大都市へと発展していきます。
こうして形成された町々が、のちに「駿府九十六ヶ町」と呼ばれました。現在の静岡市中心部にも、その町割りや町名の面影が数多く残されています。
大御所の城下町・駿府
駿府城を中心に道路や町が整えられ、その周囲には武士の屋敷、商人や職人の町、寺院が集まる地域などが配置されていきました。
一方で、すべての町が新しくつくられたわけではありません。今川氏の時代から栄えていた町場も生かしながら、新たな城下町へと再編されていきました。
こうして駿府は、政治の中心であると同時に、商業や文化の面でも多くの人が集まるまちへと発展していきます。
駿府九十六ヶ町
整えられた城下町には、商人や職人をはじめ、多くの人々が集まりました。
それぞれの仕事や役割に応じて町が形づくられ、城下に広がった町々は、のちに「駿府九十六ヶ町」と呼ばれるようになります。
町には、商いをする人、ものをつくる人、宿場を支える人、寺社に関わる人など、さまざまな人々が暮らしていました。
家康公在城時の駿府は、多くの人々が集まる大都市へと成長したとされています。
家康公が亡くなった後も、町人たちは町の運営を担い、駿府の暮らしとにぎわいを支えていきました。
駿府九十六ヶ町とは、単に九十六の町が並んでいたということではありません。
そこには、それぞれの町で暮らし、働き、まちを支えてきた人々の営みがありました。
町名に残る、駿府の記憶
現在の静岡市中心部にも、駿府城下町の歴史を伝える町名が数多く残っています。
呉服町、両替町、七間町など、現在の静岡の「おまち」を代表する町の名前にも、城下町として栄えた時代の記憶が受け継がれています。
町の姿は時代とともに変化してきましたが、道筋や町名をたどってみると、現在の街並みの中にも駿府の面影を見つけることができます。
普段何気なく歩いているまちの名前を知ることも、駿府の歴史を身近に感じるきっかけになります。
城下町から、現在の静岡へ
駿府九十六ヶ町を中心に形成されたまちは、その後の静岡の発展へと受け継がれていきました。
現在も、駿府城公園から呉服町、七間町、両替町などへと広がる中心市街地は、多くの人が集う静岡の中心です。
そして静岡まつりも、この歴史あるまちを舞台に行われています。
大御所花見行列が進む道、夜桜乱舞で人々が踊る街路、まつりの日ににぎわう「おまち」。
現在の静岡まつりの風景の中にも、かつて大御所家康公の城下町として栄えた駿府の記憶が重なっています。
駿府九十六ヶ町を知ると、普段歩いている静岡のまちが、少し違って見えてきます。
今も残る町名や道筋をたどりながら、かつての城下町に思いを重ねてみてください。
昔の駿府を知ることは、今の静岡まつりを、もっと深く楽しむことにつながります。
